LOGIN俺達はひとまず宿を探すことにした。既に夜の十時を回った。暗いし、聞き込みをするにしても、玄関まで出てきてくれるかも怪しい。
犬は元来夜行性なので、夜の方が遭遇確率が上がりそうではあるが、そもそもあの犬がどういった素性のものなのかわからない以上、むやみに歩いてどうなるものでもないだろう。
比較的近くのビジネスホテルの部屋に入り、シャワーを浴びた後、俺はベッドに倒れ込むようにしてすぐ寝てしまった。俺が目覚めたのは、チェックアウト時間の三十分ほど前、心配した薫が俺のスマホにかけた電話の呼び出し音で、俺は目を覚ました。
「お風呂で溺れでもしたんじゃないかって、本気で心配しましたよ」
「……いや悪かった。でも、思った以上に疲れてたんだな」
俺は家に戻ったら、運動を始めようと密かに誓った。
「先生、今日は犬飼さんのことを近くの人に聞き込みしましょう。私、民俗学のフィールドワークで、そういうのは得意なんです」
薫が張り切っている。昨日の犬の怨霊のことを考えると、無理にでも家に帰したいところだが、爺さん婆さんから話を引き出すのは、正直苦手だ。こちらからお願いしたいというのが本音だった。
「分かった。だが、無理はしないでくれ」
「はい。大丈夫ですって」
薫はそう言って、ニッコリと笑顔を見せた。俺達は、それから遅めの朝食をとった後、例の古民家近くの家で聞き込みをしていた。
「すみません。犬飼さんのことで、お伺いしたいのですが……」
玄関の引き戸を半開きにして、婆さんは顔をのぞかせた。
「……なんだい、あんたら?」
現れた婆さんは、俺達を値踏みするように見ながら、何かに怯えるかのように、しきりに辺りを気にしていた。
「あんたらの他には誰もいないだろうね?」
俺達の他に、黒川総業の連中とか、告げ口をしそうなやつがいないか心配なのだろう。
「はい、私達二人だけです」
「……そうかい」
とはいえ、あからさまに迷惑そうな態度を隠そうともしなかった。
「犬飼さんのところで、動画配信者がトラブルに遭ったそうなので、その調査を頼まれまして……」
「……ふん!……最近は動画配信だか、何だか知らない変なものが流行っているみたいだね。前にもそんなことを言って道を聞きにきた人がいたけど、どうなったのやら」
「お婆さん、それはいつ頃のことですか?」
「!」
婆さんは喋りすぎた! という表情を見せ、「あたしゃ何も知らないよ! あんたらみたいなよそ者と長話してたら、ご近所さんに何言われるかわかったもんじゃない、帰っとくれ!」
そう言うと、引き戸をピシャッと閉めて、家に引っ込んでしまった。
「これは……口止めか、それとも単に連中を恐れているのか……」
俺がそう呟くと、薫が落ち込んでいた。
「すみません、私のせいで」
「いや、薫のせいじゃな……」
その時、家の陰から、手招きをする姿が見えた。
そちらへ行って見ると、人の良さそうな爺さんが笑みを浮かべていた。俺達がそばに行くと、ジェスチャーで腰を屈めるように指示した。 なるほど、腰をかがめればこの家の垣根で周囲の視線からは、見えなくなるか。「すまないね、お二人さん。婆さんも犬飼さんのことがあって、変な連中が出入りするようになってから、噂になるようなことは避けろと煩くてな」
「すみません……犬飼さんのことは何かご存じなんですか?」
お爺さんは、口元に手を添え、小声で答えた。「……わしに分かることだけじゃが。二カ月ほど前だったか、犬飼さんの親戚を名乗る男が訪ねてきてな。犬飼さん達は、都会の老人ホームに入ることにしたから、自分が代わりに家を管理することになったとか言ってたが、どうにもその男が、犬飼さんの親戚とは思えない
「トラックが何を運んでいるかはご存知ですか?」
「……実は……わしは見ちまったんだ。トラックからこぼれ落ちた太陽光パネルの破片を……でもわしら年寄が、あの連中に立ち向かおうにも……向こう側についてる連中もいるし……下手したら何されるかわからんから……」
「そうだったんですね……」
俺は気になっていたことを言ってみた。
「なあ、知ってるか? ああした太陽光パネルは鉛やカドミウムなどの汚染物質を含んでいる。ああやって不法投棄されたパネルは確実に山を汚し、動植物に深刻な害を与えるんだ」
「!……そんなことになってるなんて……」
爺さんは山への被害と聞いて、痛ましい表情をした。
「先生!……このお爺さんが悪いわけではありません」
「ああ、分かってるよ。でも知ってしまったなら守るべきもののために戦うべきだと俺は思う……これは哲学だ」
我ながら大人げないとは思う。でも本当に山を守りたいなら声を上げるべきだ。
「……そういえば、犬飼さんは犬を飼ってたりしませんでしたか?」
「おお、そういえば飼っていたよ。たしか菊千代っていう甲斐犬だったはずだ」
甲斐犬……そして、菊千代。俺は、あの惨劇を脳裏に浮かべ、息を呑んだ。暗くて判然としなかったが、確かにあれは甲斐犬だったかもしれない。人をあれほど無惨に殺した怨霊が、菊千代。……飼い主を慕う、ただの犬の名前だ。
「あいつもどうしているのやら、かわいそうなことになってないといいんだがなあ」
確証はまだないが、恐らくアレが菊千代なんだろう。俺が歯噛みしていると、一台の黒塗りのベンツが、通り過ぎるのが見えた。
「ケリをつけてやる」
「……先生」
俺と薫は、止めていた車に乗り込んだ。その日の夜、俺は神代 玄道に電話をかけ、すべて解決したこと。明日取り返した本を渡すことなどを伝え、薫が入院している病院近くの喫茶店で落ち合うことにした。 ――翌日。 ちょうど時間通りに、俺が喫茶店に入ると神代は、すでに俺を待っていた。神代が奢るというのでコーヒーを頼んだ。禁書を見せると、神代は感心したように言った。「いやあ、聞きしに勝るな。早速で悪いが本を渡してもらえないかね」「おっと待った。神代大社神主、四方儀 祓さん。まず先にこの茶番が一体何だったのか説明してもらおうじゃないか」「ハッハッハッハ、君に隠し事は出来ないようだな」 朔也の親父は、悪びれもせず、底の見えない笑みを浮かべていた。「……隠し事も何も、あんた神代大社のHPに名前をのせてるじゃないか。それさえわかれば、少し情報に強い友人がいるんでね」「……朔也から事の顛末を聞いた時から、こうなるんじゃないかと思っていたけど、さて何から話そうか……」 そう言って一口コーヒーを飲み、ポンと手を叩いて話しはじめた。「槻島君、うちの朔也をどう思った? 単刀直入でいい」「どうって……」 俺はさすがに言葉を濁そうかと、一瞬だけ迷った。「……こらえ性がないアホぼん」「! 親の前でストレートに言ってくれるなあ」 さすがに傷ついたのか、こめかみがヒクヒクしているような気がする。だが、彼はため息をつき、頭に手を当てて話しだした。「そう……そのとおりなんだよ。……私の教育がまずかったのか、それとも妻が甘やかしすぎたのか、いずれにせよ、ああなってしまった。私としてもこのままじゃまずいと思って、いろいろ手を打ってはみたんだが、夜の遊びが過ぎて借金を作る体たらく……」「いいご
気がつくと、俺は真雅田邸の玄関前に倒れていた。近くにボンボンも倒れており、丁度起き上がろうとしていた。「ここは? 生きてる! 生きてる! 助かったぁぁぁぁ」 ボンボンは、自分の身体を触り、その感触で生きていることを実感しているようだった。「……そう大きな声を出すなよ。近所迷惑だぞ」 俺は身体を起こそうとして、激しいめまいに襲われた。筋肉痛のような疲労感が全身を襲う。あれだけ走り回ったんだ、当然か。 ふと、スマホで時間を確認して、俺は息を呑んだ。 「……おい、嘘だろ?」「あ? 何がだ?」「時間が……十分しか経ってない」「はあ!? 馬鹿な! あの中で何時間も彷徨ったはずだぞ! 体だってこんなに鉛みたいに重いのに!」「……なるほどな。あの中は精神だけの世界、いわば夢の中だ。夢の中での数時間が、現実の数分……ってわけか」 肉体はここにあったが、脳だけがフルマラソンを走らされたようなものだ。どっと疲れが出るわけだ。 (……時間の歪みか。あの黒い人魂も『二十年』と言っていたな。異界と現世では時間の進み方が異なるのか……?)「それはそれとして、よくも俺の事を、散々な目に合わせてくれたな!」「は……何言ってんだ?」「忘れたとは言わせないぞ。俺の頬を叩いたろう! 何かと言えば命令して、さらに俺のことを“ボン”呼ばわりしやがって。四方儀家次期当主の俺を何だと思っている!」 俺は心底面倒な奴だなぁと思い、溜め息を吐きだした。 「……朔也様だと思っているよ」「……お、お前、舐めてるだろ。何か文句があるなら……」 激昂する朔也“様”をまともに相手にする気にもなれず、元気なやつだなあと思い聞き流していると、エコバッグを持った中年女性が声をかけてきた。「あの~、どちら様でしょうか?」「あ、俺は槻島という古物商をやっている者です。今日は別の方の依頼で、こちらの屋敷の主に用がありまして」「なるほど、そうだったんですね。私は家政婦で森川と言います。そんなお客様がみえるだなんて、
壁が迫りくる中で俺は考えていた。この迷宮が、ただ俺達を殺すためだけの存在なら、何故入り口や他の場所で殺さなかった? こいつらが楽しむため? そこで俺ははっとして気づいた。 俺はこいつの“声”を聞いていない!「うわぁぁぁぁ! もう駄目だ! 俺はここで死ぬのかぁぁ!」 ボンボンが涙目になってわめいていた。……こいつは! 俺はボンボンの肩をつかみ、顔を上げると頬を平手打ちした。 バチンッ!「!」 俺はボンボンをにらみつけて、言い放った。「俺は今からこの迷宮の声を聴く!! 少しの間黙ってろ!」 俺の気迫に気おされたのか、ボンボンは黙ってくれた。右のイヤホンを外すと、声の濁流が流れ込んできた。『クスクス、……これでもう終わりだ。断末魔の声が聞けるぞ』『泣けぇぇ!! 喚けぇぇ!! 心地良いぃぃ!!』『ほらほらほら、もう一回、術を放て! 我らには効かぬぞ』『#$%&*+@……』『キャハハハハハハハ!!』『もっとだ、もっと我らを楽しませろ!!』『足掻け! 足掻け! 足掻けぇぇぇ!!』『死ね!! 死ね!! 死ね!! 死ね!! 死ね!! 死ね!! 死ね!! 死ねぇぇぇ!!!』『助けて、助けて、助けて、……助けろぉぉぉ』『こっちだ。出口はこっち……』『キャハハハ、こっちの、世界においで』『我を信じよ。出口はある。こっちだ』『ケケケ、扉はこっちだ……』『……閉じろ。潰せ。異物は排除せよ』『待て待て。早まるな。久方ぶりの客だぞ』 ……聞こえる。無数の雑音の上に君臨する、明らかに格の違う「二つの声」が。こいつらが、この迷宮の核か。片方は重く冷たく、もう片方は軽く熱っぽい。こ
菊千代はボンボンを離し、俺を降ろすと、ネコが毛玉を吐くように、黒いものを、吐き出した。それを何度か繰り返すうちに、元の子犬状態に戻ってしまった。「なんだよ、この犬! また小さくなっちまって、あのまま大きければ、また運んでもらえたのに」 ったく、こいつは! えり首つかまれていても良かったのか?と、思うところはあるが、何より助けてもらったという感謝の気持ちはないのか? 菊千代は、ボンボンの言うことなど、どこ吹く風とばかりに、足で首のあたりをかいていた。 そうだ! ボンボンなんぞ、どうでもいい。真雅田の爺さんだ。 そう思い、辺りを見回す。「……ひぃぃ! 来るな! ページが……ページが捲られるぅ!」 真雅田の爺さんはすでに目も虚ろで、何やら幻覚を見ているようだった。そして、廊下から遠目に見た時には、逆光ではっきりしなかったが、下半身が埋まってしまっていて、精神的にももう限界に近いことが分かった。早くここから出してやらないと! そして、俺は見回した時に気づいてしまった。この大広間に入ってきた時にあったドアが消えていることを。しかし、今は真雅田の爺さんに集中する!「おい、ボン! 真雅田の爺さんを引きずり出すぞ! 手伝え!」「! おい、お前! さっきからなんなんだ。俺には四方儀朔也という立派な名前があるんだからな! 朔也様と呼べ」 俺はイラッとしたが、今はそんなことよりも真雅田の爺さんの命を優先だ。 俺はため息をつきながら言った。「……分かった、分かった。朔也様、真雅田の爺さんを引きずり出すのをお手伝いください。……これでいいか?」「……まあ、いいだろう」 俺の苛立ちが伝わったのか、意外にもボンボンはゴネずに真雅田の爺さんを引きずりだすために、爺さんの片方の腕をもった。「いいか? いくぞ、せえの。 はっ!」 俺達は爺さんのそれぞれの腕を持ち、呼吸を合わせ、引き抜こうとした。すると
奈落へと飛び込んだ俺達は、深く深く落ちていった。「おぉぉぉぉぉい、四方儀ぃぃ! 忘れるな! 地面を地面だと思うな!」 ボンボンに声が届いたかどうかはわからない。しかし、この法則を理解していなければ地面に激突して死ぬかもしれない。そうなったら寝覚めが悪いので、忠告だけでもしておきたかった。 どのくらい落下したろうか、時間としては一、二分というところだろうか。ひたすら暗い闇から、徐々に明るい光が見えてきて、洋館の廊下のようなものが見えてきた。俺が着地のために身構えた。同時にボンボンが先に落ちて、潰れたトマトのようになっていないかを確認した。(これは地面じゃない、俺は落ちてない) 呪文のようにこれを何度も唱え、着地した。「おい! 大丈夫か?」 ボンボンは倒れていたが、身体を揺すってみると、死んではいないようだった。「ボヤボヤしてるなよ。さっさと起きろ!」「…………あれ?、俺は一体……」「……お前、気を失ってたのか? ある意味すごい度胸だな。……なるほど、気を失っていれば地面にぶつかるも何もないか」 俺はひとりごちた。このボンボンは地面を意識しなかったせいで、激突するという想像をしなかった。だから助かったというわけか。「……しかし、あの黒い泥人形は?」「……さあ? それよりも、ここは一体どこなんだ?」 俺たちは辺りを見まわした。「……ん! あれは!」 ボンボンの反応を見て、俺もそっちの方を見た。「!」 あれは、もしかして真雅田の爺さんか? 広間のようになっている部屋の中央に、人が腰まで埋まっていた。 こいつはまずい、真雅田の爺さんを助けないと。 俺達が、広間に向けて動こうとしたときだった――。 ズズズズ……ゴゴゴゴゴ&hel
壁を抜けると、そこは……「なんなんだここは……?」 そこは上下左右がデタラメな空間だった。だだっ広い空間に、いくつもの階段があり、それがねじれるように上下逆さまになって、天井につながっているかと思うと、天井と思っていたものは、廊下だったり、小部屋だったりする。はたまた、壁にもどこに続いているのかわからない階段があったり、どうやってたどり着けばいいのかわからないドアがあったりする。さらには、遠近感が狂って、近くのものが遠くにあるように見える場所すらあった。 もはや重力がどちらに働いているのか、それとも自分たちが立っている場所が本当に床なのか、混乱してくるようだった。 しかし、それすら些細な問題に感じさせるのは、壁や床から浮き出ている顔や、手足だった。『助けて…………助けて…………助けて……』 それらが、この空間に飲み込まれてしまった人間だったのかは定かではない。だが、様々な顔が一様に呻く様は、まさに地獄絵図だった。 くそっ! この光景もさることながら、幾重にも重なった「助けて」コールが俺には辛かった。この怨念の洪水のような声を聞き続けていたら、気持ち悪くなってきた。「うわっ! なんだ?この気持ち悪い光景は!」 俺が気持ち悪さで膝をついていると、ボンボンが近寄ってきた。「おそらく……、この迷宮に……のみこまれた……人……たちだ。……早く出口を……見つけ……ないと……俺達も……」「うへぇ……、じょ、冗談じゃない。こんなのになってたまるか! ……なあ、さっきみたいに、その犬を使って何か